政府は11月の月例経済報告で「日本経済は緩やかなデフレ状況にある」と宣言しました。デフレとは、継続的にモノの値段が下がり続けることです。
デフレが継続すると、モノの値段が下がる→売上が下がる→企業の業績が悪化し給与が下がる→消費はさらに控えるようになり、モノが売れなくなる→モノの値段がさらに下がる・・・を繰り返すことになる、いわゆる“デフレスパイラル”というメカニズムが働くと言われ、経済全体が収縮していくという懸念があります。1991年をピークとするバブル経済が崩壊して以来、日本経済ではこのデフレスパイラルが働き続けたといわれています。
デフレ対策としては、政策金利や公定歩合の引き下げ、財政出動による総需要の改善などが上げられますが、根本的には、新しい需要が内外で生まれていかなければなりません。
経営学者で経営の神様といわれるP.ドラッカー氏は、「事業の目的は新しい顧客の創造である」言っています。日本が1000兆円超の国の借金をかかえながら、経営破綻しないのは、一説、日本全体で1500兆円超の金融資産を持っているからだといわれています。また、日経新聞社の調査によれば、これら金融資産の60%以上を高齢者が持っているといわれています。
これらの資産が実態経済に流通し、経済を活性化していくことが望まれていますが、高齢者がこれらの資産を使わないのは、老後の生活に不安があり、将来、何年くらい生き、生活にいくら費用が必要か、または医療、介護が必要になったとき、さらにいくら費用がかかるか等、見えにくい状況にあるからだと思います。
従って、このように将来が見えにくい日本の高齢社会について、一体どんな社会が必要かという議論も必要になってきました。社会不安が広がる中で、どういった社会の構築が望ましいのかということについて、哲学者の鷲田小彌太先生は、その著書の中で、次のように述べています。
『どのような社会がベターなのでしょうか。間違いなくいえることは、貧しい階級と裕福な階級がいつも対立し、いがみあっている社会ではなく、中間部分が厚く、その最大層が満足を感じる社会がよいとされるのが民主制です。これを実現したのが戦後の経済復興の日本だといわれています。日本は国民のすべてが平等というのではなく、真ん中のもっとも厚い層がほとんど平等であると言うことです。統計では「私は普通よりちょっと上である」と答えた国民が九割だったそうです。実際に普通より上の人が九割いる社会は存在しません。しかし、当時日本のほとんどの国民が自分たちを「中流」と考えているということは、真ん中の一番厚い層が満足しているということでしょう。これこそが民主制社会のモデルケースではないでしょうか。』(鷲田小彌太、これでわかった「現代思想・哲学」大全、講談社+α文庫、2005)
これら中流を意識した団塊の世代がこれから、高齢者、後期高齢者になっていきます。日本経済が健全であるためには、これらの世代が安心して暮らせるシステムを構築していく必要があります。その大きな選択肢の一つが高齢者住宅を中心として、在宅医療、在宅介護サービスをネットワーク化していく新しい高齢者医療ケアシステムである“高齢者健康コミュニティCCRC構想”です。
今後、急激に高齢化が進行していく中で、高齢者が安心して安全に生活していける高齢者健康コミュニティCCRC構想は、現在のデフレスパイラル対策としても社会的な意義は大きいと言えます。
窪田昌行
デフレが継続すると、モノの値段が下がる→売上が下がる→企業の業績が悪化し給与が下がる→消費はさらに控えるようになり、モノが売れなくなる→モノの値段がさらに下がる・・・を繰り返すことになる、いわゆる“デフレスパイラル”というメカニズムが働くと言われ、経済全体が収縮していくという懸念があります。1991年をピークとするバブル経済が崩壊して以来、日本経済ではこのデフレスパイラルが働き続けたといわれています。
デフレ対策としては、政策金利や公定歩合の引き下げ、財政出動による総需要の改善などが上げられますが、根本的には、新しい需要が内外で生まれていかなければなりません。
経営学者で経営の神様といわれるP.ドラッカー氏は、「事業の目的は新しい顧客の創造である」言っています。日本が1000兆円超の国の借金をかかえながら、経営破綻しないのは、一説、日本全体で1500兆円超の金融資産を持っているからだといわれています。また、日経新聞社の調査によれば、これら金融資産の60%以上を高齢者が持っているといわれています。
これらの資産が実態経済に流通し、経済を活性化していくことが望まれていますが、高齢者がこれらの資産を使わないのは、老後の生活に不安があり、将来、何年くらい生き、生活にいくら費用が必要か、または医療、介護が必要になったとき、さらにいくら費用がかかるか等、見えにくい状況にあるからだと思います。
従って、このように将来が見えにくい日本の高齢社会について、一体どんな社会が必要かという議論も必要になってきました。社会不安が広がる中で、どういった社会の構築が望ましいのかということについて、哲学者の鷲田小彌太先生は、その著書の中で、次のように述べています。
『どのような社会がベターなのでしょうか。間違いなくいえることは、貧しい階級と裕福な階級がいつも対立し、いがみあっている社会ではなく、中間部分が厚く、その最大層が満足を感じる社会がよいとされるのが民主制です。これを実現したのが戦後の経済復興の日本だといわれています。日本は国民のすべてが平等というのではなく、真ん中のもっとも厚い層がほとんど平等であると言うことです。統計では「私は普通よりちょっと上である」と答えた国民が九割だったそうです。実際に普通より上の人が九割いる社会は存在しません。しかし、当時日本のほとんどの国民が自分たちを「中流」と考えているということは、真ん中の一番厚い層が満足しているということでしょう。これこそが民主制社会のモデルケースではないでしょうか。』(鷲田小彌太、これでわかった「現代思想・哲学」大全、講談社+α文庫、2005)
これら中流を意識した団塊の世代がこれから、高齢者、後期高齢者になっていきます。日本経済が健全であるためには、これらの世代が安心して暮らせるシステムを構築していく必要があります。その大きな選択肢の一つが高齢者住宅を中心として、在宅医療、在宅介護サービスをネットワーク化していく新しい高齢者医療ケアシステムである“高齢者健康コミュニティCCRC構想”です。
今後、急激に高齢化が進行していく中で、高齢者が安心して安全に生活していける高齢者健康コミュニティCCRC構想は、現在のデフレスパイラル対策としても社会的な意義は大きいと言えます。
窪田昌行